切手にあらわされた毛沢東。
それは現代中国の激動の50年を雄弁に語る歴史の証人である!本書は、とくに文革期切手の熱気を冷静に分析・検証。
郵便資料による歴史研究では定評のある著者による決定版。
新中国の政治の流れを,プロパガンダとして活用された「毛沢東切手」をキーワードにして解明。 目次 毛沢東切手の起源 マオの帽子 朱毛像から斯毛像へ マオの旗の下で 太陽になったマオ皇帝の晩年 毛沢東死後の毛沢東切手
第1章 毛沢東切手の起源―抗日戦争の終結まで(~1945)
第2章 マオの帽子―国共内戦期(1945~1949)
第3章 朱毛像から斯毛像へ―中華人民共和国の建国初期(1949~1957)
第4章 マオの旗の下で―大躍進とその前後(1955~1965)
第5章 太陽になったマオ―文化大革命前期(1965~1969)
第6章 皇帝の晩年―文化大革命後期(1969~1976)
終章 毛沢東死後の毛沢東切手(1976~現在)
マオの肖像・書評選
著者は郵便学の学徒を名乗る。それは「郵便という視点から国家や社会、時代や地域のあり方を再構成しようとするもの」で、本書では、毛沢東がどのように切手に登場し、はんらんし、やがて消えたかを丹念にたどり、中国の国家像に迫った。なぜそれが可能かといえば、切手の発行は、貨幣の発行同様に、すぐれて政治的な事業だからだ。
(朝日新聞 2000年1月23日 「新刊・私の◎○ 単行本」 評者:美術史家・木下直之)
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カレーライスがインドの「顔」になる前は「天竺」と言えば「お釈迦様」だったように。
かつて、パンダが中国を埋めつくすまえ「中国の顔」と言えば、この「毛」さんでした。
笑った毛さん、手を挙げた毛さん、並んだ毛さん、本を読む毛さん…切手に描かれた毛さんの肖像が、遠く果たせぬ未来を見つめる眼から、まっすぐ前を見すえた瞳へ、そして同じ目線ながら、何時の間にか太陽のように天にまします「顔」へと変化してゆく裏には、様々な政治的思惑が交錯していた。
コレクターにとっては「切手」が、ただの郵便料金票以上の意味を持っていることは言うまでもないが、これを小さな小さな、国家のプロパガンダの舞台と捉えると、教科書の挿絵では分からないような一つの歴史が見えてくる。
「このコインに刻まれているのは誰の顔か?」と、一デナリに刻まれたカイザルの肖像を手に、キリストさんは教えを説いたが、この本の著者は、五分、八分の切手を手に、抗日戦争、統一戦線、国共内戦、大躍進から文革と、複雑に入りくんで分かりにくい現代中国史の諸相を見事に斬ってゆく。
実に改作である。
(雑誌『しにか』2000年4月号・書評より)
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…本書の副題は「毛沢東切手で読み解く現代中国」となっていて、少なくとも二〇世紀の中国でくりかえしマオの肖像の複製が生み出されてきた経緯が語られているのだが、現代の日本では、こうした図像さえも消費の対象としては使い捨てに等しい意味しかもっていない。個人崇拝とかイデオロギーとか、そういう批判のレヴェルではないのだ。それが誰であっても、個人の顔などはたまさかの記号として以上の意味はもたない時代なのである。…(中略)…しかし、批判も畏怖もないままにイメージを消費するだけの状況が生まれだして、そのイメージの過去を知っている者にとっては奇怪なキッチュとなり、知らない者には異質な図像としてしか意味を持たなくなったとき、あえて「マオ」について語ることは微妙な冒険となるのではないか。(以下、略)
(松枝到「キタイ周遊50・切手の中のマオ」『しにか』2001年5月号より抜粋)