大正から昭和戦前期にかけて内務官僚として活躍し、その後実業界を経て何時も公益本位に生きた著者の闘魂の生き様を実録。
川村貞四郎 [カワムラテイシロウ] 明治23年7月23日、愛知県生まれ。明治44年9月東京帝国大学法科大学独逸法律科入学。大正3年11月文官高等試験合格。同4年5月同大学卒業。大正4年6月任警視庁警部警務部警衛課兼警務課勤務。同6年9月専任警視庁警視補本所太平警察署長。同7年6月任防疫官兼内務書記官衛生局勤務。同10年9月任内務事務官警補局保安課勤務。同14年9月任警視庁書記官補衛生部長。同15年中央大学講師行政法担任。昭和2年11月補保安部長。同4年7月任山形県書記官補内務部長。同5年1月任青森県書記官補内務部長。同年6月依願免本官。同6年12月任山形県知事。同8年6月依願免本官。同13年6月東洋インキ製造株式会社々長(昭和16年8月退任)。同21年3月財団法人古橋会を設立、理事長に就任。同37年3月紺綬褒章及び木杯を賜う。同43年11月藍綬褒章受章。同60年6月稲武町名誉町民称号授与。昭和62年6月18日死去
第1部 浮き草稼業「官界時代」(東京警察病院設立の思い出;壮心、壮遊;金玉酒 ほか)
第2部 浪々時代「退官から古橋会設立まで」(家屋の新築と変遷;満寿川隧道の題字;ボスの放鯉 ほか)
第3部 委託を奉じて「古橋会理事長として」(委託を奉じて一年有半;東海銀行稲橋支店の閉鎖;郷土博物館の建設 ほか)