伊達政宗が壮大な夢を描いてメキシコおよびヨーロッパへ派遣した「慶長遣欧使節団」一行の約七年間に及ぶ苦悩に満ちた長旅は、想像を絶するほど過酷なものであった。
スペイン政府に厄介者として扱われ、国外追放命令にさえ怯まず、病と闘いながら最後まで任務を果たそうと懸命に努力…。
結局、時代の激変に流されて支倉は目的を果たせず、やっとのことで日本に戻って来た。
しかし旅の疲れと病気のせいでその容貌は別人のように変貌、頭の髪は薄くなり、やせ細っていた…。
貴重な海外の原典史料を中心に「国宝」肖像画の謎を解く。
大泉光一 [オオイズミコウイチ] 1943年、長野県で生まれ、宮城県大河原町で育つ。宮城県角田高等学校卒業。日本大学(国際関係)博士。87年日本大学国際関係学部、同大学院国際関係研究科教授に就任。国立チリ大学、スペイン国立バリャドリード大学客員教授、バリャドリード大学アジア研究センター国際諮問委員、スペイン国立サンティアゴ・デ・コンポステラ大学大学院客員教授、国際経営文化学会副会長等を歴任。わが国における「危機管理学研究」のパイオニア。専門の国際経営論、危機管理論の研究の傍ら、40年以上にわたってライフワークの「慶長遣欧使節の研究」に従事している。キリスト教史学会会員
第1部 使節一行の再評価―使節派遣のいきさつと旅の真実(伊達政宗の遣欧使節とは何か;伊達政宗と支倉常長)
第2部 支倉常長肖像画をめぐる謎(国宝「支倉常長半身像」をめぐる謎;西洋人の見た支倉の素顔;改作説の検証;「支倉常長全身像」をめぐる謎―カヴァッツァ伯所蔵の「日本人武士像」)