明治以前の白喪服主流から何故現在の黒喪服一辺倒に変わったのか。
明治新政府はあらゆる喪服の標準を模索し続けたが、そこには天皇が密接に関わっていた。
現在の葬儀においては黒喪服一辺倒であるが、明治以前の喪服は古代に始まる白喪服が主流であった。これまで明らかにされてこなかった明治以前の白喪服から現在の黒喪服に変わる詳しい過程を解明するとともに、日本喪服通史としての性格にもなっている。
風見明 [カザミアキラ] 1939年栃木県生まれ。早稲田大学理工学部卒(修士)。三洋電機(株)での半導体開発のかたわら、身近な日本文化を研究し、「『技』と日本人」(工業調査会)、「『色』の文化誌」(工業調査会)を著し、70人のエッセイよりなる「日本再発見」(NTT出版)の著者の一人となる。定年後も著作活動
第1章 明治以前の喪服は白喪服が主流―江戸後期の代表的喪服は白裃と白無垢
第2章 明治五年、文官の大礼服と万人の燕尾服を制定―白喪服が黒喪服に替わる発端となる
第3章 明治十一年の故大久保利通葬儀は国葬並に盛大―会葬者は大礼服に黒ネクタイと黒手袋
第4章 明治十六年から二十九年までに五回の国葬―上流階級のみが関わり、政府は喪服を模索
第5章 明治三十年の英照皇太后大喪は全国民が喪に服す―政府指示の各種喪服は以降の標準に
第6章 英照皇太后大喪での天皇の喪服は黒喪服―律令時代以来の大喪で着用してきたもの
第7章 喪主の喪服は国葬と英照皇太后大喪で共通―昔の大喪で臣下に着用させたもの
第8章 英照皇太后大喪では随所に喪のシンボル色・黒―皇室系のものと西洋系のもの
第9章 英照皇太后大喪で登場した黒白縞の幕二種―この黒は後で喪の意味を持つようになる