日本の教科書にも掲載されている中国清朝の西太后のポートレート写真を撮った日本人写真師山本讃七郎。明治の写真師山本讃七郎を中心に、その生い立ちと活動の足跡を追いながら、黎明期の写真業界の実態と歴史をひもとく。
日向康三郎(ひなた こうざぶろう)
1943年、東京に生まれる。
1967~1983年、メーカーでインダストリアル・デザインに携わる。
1983~1995年、デザイン事務所を自営。この間、岡山県の井原史談会に入会。
1995年、再びメーカー勤務。
1999~2001年、江戸物の店「技尽し」を経営。閉店、現在にいたる。
2004年12月、練馬郷土史研究会に入会。
[主要論著]
「三村氏補遺」(『史談いばら』第20号)、「典医山本梅園」(同第22号)、「林董伯爵と写真師山本讃七郎」(同第24号)、「山本讃七郎をめぐって」(同第25号)、「山本讃七郎〔Ⅲ〕」(同第29号)、「北京・山本照像館―西太后と写真師山本讃七郎 ガラス乾板が語る百年前の事実―」(東京大学東洋文化研究所『関野貞大陸調査と現在(いま)Ⅱ』)、郷土史ミステリー『埋められた匣』など。
序文〈平勢隆郎〉
第Ⅰ章 明治の写真師―山本讃七郎
第Ⅱ章 北京・山本照像館の活動
第Ⅲ章 帰朝時における讃七郎
山本讃七郎 年譜/参考・引用文献
山本讃七郎写真との出会い
清末における山本照像館撮影写真(東京大学東洋文化研究所所蔵山本讃七郎写真資料より)
関係文書