一人でもいい、生き残って我々の働きを知らせるのだ――
ひめゆり学徒の乙女らと生死を共にした学徒隊長の、愛と苦悩と悔恨の記憶。
首里城の丘かすむこなた
松風清き大道に
そいていらかの棟たかし
これぞ吾等が学びの舎――
そのいらかの下で、師範学校生二百八十名、一高女生八百名、計千名に余る可憐な少女が、毎日平和な、そして誇りに満ちた気持ちで快活に校歌を口ずさみながら勉学していた。
――本文「第一部 うつりゆく学園…一 ひめゆり学園」より
私たちがこうして生きのびたのも先生のお陰で、
先生は私たちの命の恩人である。
もしあの時、先生と一緒でなければ、思慮の浅い私たちは、
きっと持っていた手榴弾で自決していたことだろう。
あの頃は、死ぬことのみを考えていた。
――本文「沖縄戦と西平先生」(木村つる)より
戦争を正確に記録することは難しい。どんなに生々しい体験もその戦争の限られた部分に過ぎないからである。……
戦争に関する思いを伝えることもまた難しい。どのように言葉を尽くしてもそれは幸運な生き残り思いであり、決して死者の恐怖や無念を伝えることは不可能だから、生き残った者の負い目は深くなり、口は重くなる。
――「序にかえて」(松永英美)より
《著者略歴》
西平英夫(にしひら ひでお)
1908(明治41)年、奈良県に生まれる。
京都大学哲学科卒。
1938(昭和13)年、沖縄師範学校教授となり、生徒主事、沖縄
決戦下のひめゆり学徒隊本部指揮班に所属、ひめゆり学徒隊長の
位置にあった。
1946 年1 月、沖縄より帰る。1949 年9 月、山口大学教授。
1954 年1 月4 日、没。
松永英美(まつなが ひでみ)
西平英夫氏の長女。1994 年、中国放送を報道局次長で退職。
序にかえて
第一部 うつりゆく学園
一 ひめゆり学園/二 遅れた疎開/三 陣地構築と勤労動員/四突然の空襲/五 看護訓練
第二部 ひめゆり学徒の青春
一 ひめゆり学徒の青春/二 南風原陸軍病院/三 初めての犠牲者/四 弾雨下の青春/
五 文部大臣の激電「決死敢闘」/六 恨みの転進/七 紅に染まる「伊原野」/八 解散命令/九 終焉
沖縄戦と西平先生 …木村つる/沖縄から帰ってからの父 …松永英美
付 録
・ 貴重な秘録還える 琉球新報(昭和二十九年一月三十日)/
・ 沖縄戦闘下ニ於ケル沖縄師範学校状況報告(昭和二十一年一月二十日) 沖縄師範学校教授 西平英夫、同教諭 秦四津生
あとがき
●TV放送
2014年4月12日(土) NHK総合
にっぽん紀行「ひめゆりを訪ねて〜沖縄 父の手記をたどる旅〜」
沖縄戦に看護要員として動員され、多くの犠牲をだした女学生たち「ひめゆり学徒隊」。
2014年2月、広島の大学生が、ひめゆり学徒隊を率いた隊長の娘にあたる女性とともに「ひめゆり」の戦跡を歩いてたどり、沖縄戦について学ぶ旅が開催された。
父が見た沖縄戦とは、どのようなものだったのか。手記をもとにひめゆり学徒隊の足跡を追う、その3日間の旅路に密着する。
●新聞ほか紹介
2015年6月21日
中日新聞・東京新聞 サンデー版『大図解シリーズ』
「ひめゆり学徒隊」