1942年8月から1943年10月までの僅か一年余りの間に、約6万人の連合軍戦争捕虜と約20万人のアジア人が、タイのノーン・プラードゥクとビルマのダンビユザヤを結ぶ415キロの鉄道を敷設するため、日本軍によって強制労働に従事させられた。
イギリス軍兵士の著者は1942年2月にシンガポールで捕えられ、タイ駐留日本軍の捕虜となり、いわゆる死の鉄道を建設するために強制的に働かされたが、3年半をどうにか生き延びることができた。
この間、没収され罰せられる危険性がある中、日記を書き綴り、数々のスケッチを描き、戦後イギリスに持ち帰った。
この本はその日本語訳である。
※本書籍には新版がございます。
泰緬鉄道からの生還 第二版
モートン,アルバート [モートン,アルバート][Moreton,Albert] 1910年8月10日、ポルトガルのリスボン生れ。日本軍の戦争捕虜となっていた1942年から1945年までの期間に密かに三冊の小さな日記を綴った。1983年に死去。1932年、22歳でイギリス陸軍に入隊、2年後インドに派兵された モートン,ディビッド [モートン,ディビッド][Moreton,David C.] 1969年カナダ生まれ。1995年ブリディシュ・コロンビア大学東洋学部日本文化専攻卒業。2001年同学部修士課程(日本宗教史専攻)修了。2001年?現在、徳島文理大学客員講師
一冊目の日記―一九四二年一一月四日~一九四四年六月一三日
二冊目の日記―一九四四年六月一三日~一九四五年三月一日
三冊目の日記―一九四五年三月三日~一九四五年一〇月二七日(一九四五年二月二日~一九四五年一二月二九日も含む)
帰国までのルート:一九四五年
その後のアルバート・モートン