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金印再考―委奴国・阿曇氏・志賀島―

金印再考―委奴国・阿曇氏・志賀島―

書名 : 金印再考―委奴国・阿曇氏・志賀島―
編著者 : 大谷 光男
価格 : 3,080 円
初版年月日 : 2014/4/25
ISBNコード : 9784639023036
在庫状況 : 在庫あり
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体裁

21cm/A5判並製・カバー/214頁

内容紹介

今なお偽作説・私印説の唱えられている金印「漢委奴国王」。
古代中国の印制、金印発掘の経緯の再検証に加えて、金印出土地周辺を本貫としワタツミ三神を祀った阿曇氏の消長、中世以降の志賀島の変容を追いながら、真印の立場から金印研究の現状と今後の課題について評論する。

著者紹介

大谷光男[オオタニミツオ]
1927年東京都杉並区生まれ。早稲田大学文学部史学科(旧制)卒業。二松學舍大學名誉教授。古代史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

 序  文( 西谷 正)
 まえがき
Ⅰ 金印紫綬をめぐって
 一 金印蛇紐「漢委奴国王」に関する管見
 序 言
  1 金印研究に問題提起
  2 阿曇と安曇の氏名義について
 結 言
 二 倭の狗奴国の存在について ― 倭奴国と邪馬台国との狭間 ―
 三 「漢委奴国王」印研究の紹介 ― 華亭釈澂・細井金吾・本居宣長 ―
 序 言
  1 華亭釈澂の金印考
  2 細井金吾の金印考
  3 本居宣長の金印考
 結 言
 四 烏孫国の官吏に授けた金印紫綬
 五 金印「漢歸義賨邑侯」について
 六 亀井南冥「漢印図説」の掲載と内藤耻叟の批判
 七 印譜「親魏倭王」を載せる『宣和集古印史』官印序文
 八 漢代五文字の印制について
Ⅱ 阿曇氏 ― 金印出土地出身氏族
 一 『日本書紀』編纂からみた阿曇氏
 二 『日本書紀』にみえる海宰以後の阿曇氏の活躍
 三 志賀海神社の分布と六国史中の阿曇・安曇姓の史料
 四 阿曇犬養連について
  1 阿曇連が犬養部と合併か
  2 阿曇犬養連は新規の氏姓か
 五 安曇氏の職掌について
 六 筑前国糟屋郡志阿(珂)郷の白水郎は阿曇連の部民
 七 日本における白水郎の概念
 八 志賀島白水郎の風俗楽について
Ⅲ 志賀島 ― 金印発掘の経緯
 一 金印発掘の甚兵衛と喜兵衛
 二 甚兵衛の「金印発掘口上書」巻頭の「私抱田地」について
 三 甚兵衛の金印発掘口上書と家老の聞届
 四 志賀島村庄屋長谷川武蔵
 五 中世以降の社寺と島民の変容
  1 金剛山吉祥寺と『萬暦家内年鑑』(阿曇家文書)
  2 建久二年十月長講堂所領志賀島御注文(島田家文書)
  3 延慶三年八月廿一日付「志賀嶋雜掌爲直書狀」(島田家文書)
  4 応永十四年三月「宣陽門院御領目録」(八代恒治氏所蔵文書の『集』)
 あとがき

書評

【月刊書道界 2014年7月号 『今月の本棚』欄】
後漢の光武帝から与えられた金印「漢委奴国王」は、なぜ九州・志賀島で発見されたのか。金印研究六〇年の著者(二松學舍大学名誉教授)が研究の集大成として、委奴国・阿曇氏・志賀島の三つをキーワードに今なお偽作説、私印説が唱えられている金印の全容を解明する。
江戸時代の天明四年(一七八四)、百姓甚兵衛によって発見された金印の出土地は現在の福岡県東区志賀島で古代は委奴国と呼ばれた。著者は「後漢書東夷伝」をはじめ資料を渉猟して、委奴国は倭国の一国(氏族)ではなくヤマトの国すなわち倭国であり、金印授与の相手は倭国王と解すべきという。しかし委奴国は南の狗奴国に追われ滅亡、その際金印は棄てられたと見る。また、出土地は弥生時代後期から海を介した対外交流の拠点で、海人族を統率する阿曇連の勢力範囲にあった。
 謎は志賀島の百姓甚兵衛の存在。発見された金印については甚兵衛から聴き取りをした庄屋長谷川武蔵が奉行に金印発掘口上書を提出しているが、水田とあるだけで正確な場所は不明。しかも甚兵衛なる者は宗門人別帳にも記載がない。今後は田畑の名寄帳や庄屋の日記など新たな資料の発見が期待される、と結ぶ。

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