推古天皇が蘇我氏に擬えた「日向の駒」、蘇我馬子が推古天皇に割譲を求めた「葛城の県」、蘇我氏が仏教を受容した本当の理由、物部氏との抗争と石上神宮の祭祀との関連などの問題について、これまでは注目されなかった視点から解明し、新たな蘇我氏像を提示する。
※本書籍には新版がございます。
日本古代氏族研究叢書5 蘇我氏の研究 普及版
〈著者略歴〉
平林 章仁(ひらばやし・あきひと)
1948 年 奈良県に生まれる
1971 年 龍谷大学文学部史学科卒業
2002 年 博士(文学)(皇學館大学)
現在 龍谷大学文学部歴史学科教授
著書 『鹿と鳥の文化史』白水社、1992 年
『橋と遊びの文化史』白水社、1994 年
『蘇我氏の実像と葛城氏』白水社、1996 年
『七夕と相撲の古代史』白水社、1998 年
『三輪山の古代史』白水社、2000 年
『七世紀の古代史』白水社、2002 年
『神々と肉食の古代史』吉川弘文館、2007 年
『謎の古代豪族 葛城氏』祥伝社、2013 年
『天皇はいつから天皇になったか?』祥伝社、2015 年
『「日の御子」の古代史』塙書房、2015 年
第一章 大臣蘇我氏の前史 ―五世紀の蘇我氏―
はじめに
第一節 辛亥の変は存在したか
第二節 継体天皇即位の条件と新政策
第三節 蘇我満智宿禰の人物像
第四節 蘇我満智宿禰と蘇我氏渡来人説
第五節 蘇我韓子宿禰と騎馬戦
第六節 蘇我氏最初の大臣・蘇我稲目宿禰
第七節 葛城氏から蘇我氏へ
第八節 蘇我氏と皇極天皇の即位
小 結
第二章 蘇我氏と仏教と天皇と神祇祭祀
はじめに
第一節 『日本書紀』と道慈
第二節 蘇我氏の仏教受容の真実
第三節 仏教伝来についての認識
第四節 仏教外交と下賜
第五節 三代に及ぶ仏教崇廃問題
第六節 蘇我氏・物部氏抗争の原因
第七節 仏教崇敬と氏族合議
第八節 古代天皇の仏教信仰拒否
第九節 祭祀王天皇
第一〇節 古代王族の仏教信仰
第一一節 廏戸皇子と仏教
第一二節 三寺への土地分納の事実
第一三節 古代天皇の仏教受容
第一四節 飽波評の設定
第一五節 飽波宮から飽波評へ
第一六節 羆凝寺から百済大寺へ
第一七節 百済大寺から高市大寺へ
第一八節 吉備池廃寺の出土
第一九節 吉備池廃寺は舒明朝の百済大寺か
小 結
第三章 蘇我氏と物部氏と石上神宮
はじめに
第一節 神宮の呼称からみた石上神宮
第二節 石上神宮と七枝刀
第三節 石上神宮は物部連氏の氏神か
第四節 収蔵物からみた石上神宮の性格
第五節 石上神宮の神宝移動
第六節 石上神宮と布留宿禰氏
第七節 蘇我馬子の物部連氏の妻と石上神宮
第八節 蘇我氏と石上神宮の変質
第九節 物部と石上神宮の祭祀
第一〇節 石上神宮の器仗と物部連氏の鎮魂
第一一節 蘇我氏と神祇祭祀 ―蘇我氏と忌部氏―
第一二節 蘇我氏と斎宮
小 結
第四章 蘇我氏と葛城県 ―その成立と伝領、忍海評設定と関わって―
はじめに
第一節 「忍海評」木簡の出土
第二節 忍海郡の領域
第三節 宮から評へ―飽波宮―
第四節 飽波評の歴史的背景と領域
第五節 忍海地域と五世紀末の政治的動向
第六節 葛城氏系二王の発見
第七節 政権を掌った忍海飯豊青尊
第八節 忍海角刺宮と忍海の歴史的特色
第九節 大宝改元と忍海郡の三田首五瀬
第一〇節 忍海郡の金属工人
第一一節 忍海の三田と葛城県
小 結
第五章 蘇我氏と馬匹文化 ―日向の駒と呉の真刀と廏戸皇子―
はじめに
第一節 日向の馬匹文化
第二節 日向の駒と平群氏
第三節 額田馬の謂れ
第四節 河内日下の馬
第五節 隼人の馬と楯
第六節 隼人と肥人と額髪飾り
第七節 額田・車田・町形
第八節 蘇我韓子の騎馬戦
第九節 筑紫安致臣は馬飼集団
第一〇節 南曽我遺跡の馬墓
第一一節 聖徳太子虚像説について
第一二節 聖徳太子実像説をめぐって Ⅰ
第一三節 聖徳太子実像説をめぐって Ⅱ
第一四節 聖徳太子と馬匹文化・馬飼集団
第一五節 聖徳太子と播磨国加古郡
小 結
第六章 河内磯長谷の王陵と蘇我氏
はじめにbr
第一節 磯長谷の陵墓
第二節 蘇我馬子による崇峻天皇殺害
第三節 「王陵の谷」形成と蘇我氏
第四節 「王陵の谷」形成と女性
第五節 「王陵の谷」形成と系譜・帰属観念
小 結