第15回 昭和女子大学女性文化研究奨励賞(坂東眞理子基金)受賞
戊辰戦争を戦い抜いた山川家の二男五女。
彼らと、彼らの家族が急速に近代化していく明治以降をどのように生き抜いたのか。初発表のものも含め、当人たち、あるいはその子孫たちが残した史料から、5人の姉妹を中心に明らかにする。
本書216-217ページの「次男健次郎の系図」にお名前の表記間違いがございました。お詫びして訂正いたします。
216ページ (誤)建重 → (正)健重
216ページ (誤)建英 → (正)健英
遠藤 由紀子(えんどう ゆきこ)
1979年 福島県郡山市生まれ。
2007年 昭和女子大学大学院生活機構研究科生活機構学専攻(博士後期課程)修了。
博士(学術)。専攻は近代史・女性史・歴史地理学(地域文化)。
現在、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師、女性文化研究所研究員。
『近代開拓村と神社―旧会津藩士及び屯田兵の帰属意識の変遷―』で第32 回福島民報出版文化賞奨励賞受賞。
〈主な著書〉
(単著)『近代開拓村と神社』、(共著)『女性と仕事』、『女性と家族』(ともに御茶の水書房)、『徳川慶喜の無念』、『戊辰戦争を歩く』、『新島八重を歩く』(光人社)、歴史REAL『八重と会津戦争』、『女たちの幕末・明治』、『幕末明治を生きた女性たち』(洋泉社)、『シリーズ藩物語・守山藩』(現代書館)、『秋山好古と習志野騎兵旅団』(雄山閣)など。
序章 山川家の兄弟姉妹
はじめに 母・艶のこと 浩と健次郎のこと
第1章 長女二葉の生き方
山川家の長女/梶原平馬とアーネスト・サトウの交流/奥羽越列藩同盟/会津戦争での二葉/斗南への移住、そして平馬との離別/東京女子師範学校の「寄宿舎長」/明治中期の女子生徒の現状/寄宿舎での生活/共立女子職業学校の発起人となる/昭憲皇太后と共立女子職業学校のつながり/良妻賢母主義、ではある/二葉の慈善活動―日清戦争と日露戦争―/梶原平馬の根室での足跡/新たに分かった平馬の足取り/一人息子梶原景清のこと/孫の梶原景浩のこと/『會津の人』にある平馬の逸話/佐世保での生活/大山家とのつながり/二葉の晩年、その死のあとで
資料「寄宿生の薫陶」(『太陽』第三巻第二三号、一八九七年)
第2章 次女ミワの生き方
詳細不明であった次女ミワ/桜井家に嫁ぐ/夫政衛の謹慎生活/青森での生活/根室・屯田兵の生活/根室での喜びと悲しみ/ミワの子どもたちの結婚など/根室の名物校長「大砲先生」/夫と長男の死/懋の結婚/弟・健次郎の訪問/ミワの養女・イキのこと/会津の学風/ミワの人物像とは
第3章 三女操・四女常盤の生き方
第1節 三女操
フランス語が堪能な操/明治中期に書かれた操の評伝/操の少女時代/小出光照との結婚/ロシアへの渡航/女官として―宮内省御用掛―/山川三千子の記録/『昭憲皇太后実録』に登場する操/社会福祉事業家・瓜生岩子の介添/操の養子/女性の憧れ・操
第2節 四女常盤
常盤と柴五郎/徳力徳治との結婚/徳治・常盤夫妻の子どもたち/聡明な三男・戈登/常盤の晩年
第4章 五女捨松の生き方
時代の責任を担う人/少女時代の捨松/アメリカ留学生活/帰国、そして「失意の日々」/薩摩隼人・大山巌/鹿鳴館の貴婦人の社会福祉事業/鹿鳴館に集う女性たち/慈善活動の拡がり/鹿鳴館への批判/『不如帰』の風評に苦しむ/銃後の妻/母・捨松/捨松と姉妹たち/捨松と女子英学塾/女子英学塾の発展と捨松/那須野ケ原の開拓/捨松の晩年
第5章 次男健次郎の妻鉚と嫁良の生き方
山川家に嫁した女性たち/健次郎の妻・鉚/健次郎の子女たちの出身校/池袋の山川家と、長男洵の結婚/梶井家と、梶井良の少女時代/『梶井恒日記』にある良の結婚/洵と良の新婚生活とアメリカ留学/鉚の死/『會津雑記』の存在/『會津雑記』に残された健次郎の「御話」/親も子も大学教授/健次郎の死のあとで/良の実家梶井家との関係/水産学者・山川洵の研究/洵・良夫婦の五人姉妹/良の晩年/旧会津と新会津
終章 おわりに
紀州落ちのその後で/明治期に浩が出した礼状/浩と健次郎の生き方/眼界を広く持った女性たち
あとがき